米国婦人から見た日本と日本人(明治中期)

シドモア日本紀行より引用してご紹介
この牧歌的島嶼に住む国民と西方二カ国(中国、朝鮮)の

国民、この東洋三大王国の間には、肉体的特徴以上に大きな
違いがあります。

東洋の万事が西洋世界にとって驚異です。半信半疑になりながらも、この紛れも無い非現実的姿に遭遇すると、全く摩訶不思議な感動に包まれます。とにかく日本のすばらしさを味わうためにアジア大陸の果てへ足を伸ばして、この島国へやってくるべきです。

東回りコースの船旅では、スエズ運河から長崎沖の手前まで、アジアの民衆は無言のまま腰をおろし、汚物、ぼろ布、無知、悲惨の中に漬かり、何の不満もなく暮らしているのが目にはいります。不衛生で醜悪な環境にいる中国の民衆、あの濁った河、茫漠とした平原、黄褐色の丘陵を通過し、さらに朝鮮半島のうら寂しい海岸に別れを告げて進みます。

最初に出会う日本は、海岸線から離れた緑の島です。絵のように続く丘陵や頂上に至るまで、その光景はまるで夢の天国です。家並みは玩具(おもちゃ)に、住民はお人形さんに見えます。その暮らしのさまは清潔で美しく、かつ芸術的で独特の風情があります。
この牧歌的島嶼に住む国民と西方二カ国(中国、朝鮮)の国民、この東洋三大王国の間には、肉体的特徴以上に大きな違いがあります。礼儀正しく洗練された東洋の華・日本は、陽気で明るく友好親善に満ち、魅力あふれる審美的民族の島であることは、誰しも認めざるを得ません。

険しく変化に富む海岸は豊かな色彩にあふれ、山腹は一年中深く柔らかな緑に覆われています。さらに扇、提灯、箱、皿のデザインで馴染み深い富士山、大空を背景にくっきりと映し出されたこの円錐形は周囲の景観を完璧に仕上げます。

庶民の日常生活は、とても芝居じみ、かつ芸術性に富み、装飾的工夫に満ちており、これが掛け値なしの現実です。街道や店屋は入念に配置された舞台の大道具であり、気取ったポーズの群衆が行き交います。・・・・