イスラエルとパレスチナの紛争7(最終)、パレスチナ分断とガザ封鎖
PLO指導者ヤセル・アラファト氏は2004年に亡くなり、その1年後に第二次インティファーダが終結し、ガザ地区のイスラエル人入植地は解体され、イスラエル兵と9,000人の入植者が飛び地から去った。
1年後、パレスチナ人は初めて総選挙に投票した。
ハマスが過半数を獲得した。 しかし、ファタハとハマスの内戦が勃発し、数カ月間続き、数百人のパレスチナ人が死亡した。
ハマスはガザ地区からファタハを追放し、パレスチナ自治政府の主要政党であるファタハはヨルダン川西岸の一部の支配を再開した。
2007年6月、イスラエルはハマスを「テロ」として非難し、ガザ地区に陸、空、海上の封鎖を発動した。
★ガザ地区での戦争
イスラエルは、2008年、2012年、2014年、2021年の4回にわたってガザへの長期にわたる軍事攻撃を開始した。多くの子供を含む数千人のパレスチナ人が殺害され、数万の家屋、学校、オフィスビルが破壊された。
包囲により鉄鋼やセメントなどの建設資材がガザに届かないため、再建はほぼ不可能となっている。
2008年の襲撃では、リンガスなど国際的に禁止されている兵器が使用された。
2014年、イスラエルは50日間で、民間人1,462人と500人近い子供を含む2,100人以上のパレスチナ人を殺害した。
イスラエル側が「プロテクティブ・エッジ作戦」と呼んだこの襲撃では、約1万1000人のパレスチナ人が負傷し、2万戸の家が破壊され、50万人が避難した。