グリフィスが見た日本女性の地位
グリフィス著「明治日本体験記」から
1870年12月29日~1874年7月25日
外国人から見た日本の女性像はどうだったのでしょうか。
同時代の海外の状況はどうだったのでしょうか
最近は「女性が~」で切り取り報道までして、功績は無視して辞任にまで追い込み、女性が虐げられていることを喧伝するような事件を見かけますが、もっと古い時代、維新後に来日した外国人から見た日本の女性像はどうだったのでしょうか。
一例として、
グリフィス著「明治日本体験記」に書かれた日本女性の地位。
グリフィスは自然科学の教師として、明治維新直後の、1870年12月29日に27歳の時来日。
日本に来ると、他の国と比べて日本の女性の地位に大いに満足する。ここでは女性が東洋の他の国で観察される地位よりもずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。
日本の女性はより大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている。・・・
インド、ビルマ、中国の外国人居住者が日本に来て驚きかつ喜ぶのは、日本人の女性への応じ方で、尊敬と思いやりの気持があまりにも大きいことである。
女性が纏足させられることはないし、中層・下層階級の女性もアメリカなみにほとんど自由に出歩ける。
アジア的、偶像崇拝的、かつ独裁的である国では考えられないような、社会的自由が日本の女性の間に広まっている。
欧米諸国の女性と比べ、標準的に見て、日本の女性は美しいものへのあの優雅な趣味では全く同等の資格があり、服装や個人の装身具においてもよく似合って見える。また礼儀作法が女性らしく上品であることでもひけをとらない。
美、秩序、整頓、家の飾りや管理、服装や礼儀の楽しみを生まれながらにして愛することでは一般に日本女性にまさる女性はない。・・・
子供の教育者として日本の女性は、才能と知識のゆるす限り子供の養育に細心の注意を払い、心をこめてやさしく身を粉にしてつくすことでは、いかなる文明国の母親にも優るとも劣らない。・・・・
新政府の仕事は家庭において遂行されねばならない。社会の基盤は家庭にあるからである。
どの国でも国家は家庭のようなものである。政治の形態は色々あっても、大きくなった家族に過ぎない。 どこの国でも普通の家族のことがよくわかれば、その国の政治の現実が容易に理解できる。