戦後の教育の日本の暗黒史観はでたらめ

2021年3月1日

ザビエルの昔から、日本を訪れた外国人たちは、初めて見る日本と日本人を賞賛していました。

『ザビエルの見た日本』ピーター・ミルワード著と

『ヨーロッパ文化と日本文化』ルイス・フロイス著、

『シュリーマン旅行記・清国・日本』ハインリッヒ・シュリーマン著から当時の日本人評を見て見ましょう。

ポルトガル人、フランシスコ・ザビエルは1549年に鹿児島に上陸しました。

「私がこれまでに会った国民の中で、キリスト教徒にしろ異教徒にしろ、日本人ほど盗みを嫌う者に会った覚えはありません」

「大抵の日本人は字が読めるので、私達の教会の祈りもすぐに覚えます」

「日本人はとても気立てがよく、驚くほど理性に従います」

ルイス・フロイスもポルトガル人で、ザビエルの影響を受けて1562年に日本にやってきました。

「ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格に行われる。日本では娘達は両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける」

 「ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由をもっている」

 「我々の子供はその立居振舞に落着きが無く優雅を重んじない。日本の子供はその点非情に完全で、全く賞賛に値する」

シュリーマンはドイツに生まれ、1865年に日本に来ました。トロイアの遺跡発掘で有名です。

「船頭たちは私を埠頭の一つに下ろすと”テンポー”と言いながら指を四本かざしてみせた。労賃として四天保銭を請求したのである。これには大いに驚いた。それではぎりぎりの値ではないか。支那の船頭たちは少なくともこの四倍はふっかけた・・・」

「税関も開いていた。二人の官吏がにこやかに近づいてきて、オハイヨ(おはよう)と言いながら、地面に届くほど頭を下げ、三十秒もその姿勢を続けた。次に、中を吟味するから荷物を開けるようにと指示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(二・五フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて「ニッポンムスコ」(日本男児?)と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。おかげで私は荷物を開けなければならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺だけの検査で満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な応対だった。彼らは再び深々とおじぎをしながら、「サイナラ」(さようなら)と言った」  「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている」