幕末・維新期に来日した外国人の日本人評

2021年3月1日

幕末・維新期に来日し滞在した外国人、言葉も文化も異なる人々から見た日本の文化、教育で育った日本人を親しみを持って賞賛しています。

『江戸・幕末滞在記』エドゥアルド・スエンソン著と

『絵で見る幕末日本』エメェ・アンペール著から見て見ましょう。

スエンソンはデンマークに生まれ、フランス海軍に入って、1866年横浜に上陸しました。

「私はかつて、まだ年若い青年が、大名やゴロジョー(御老中)と、同僚や自分と同じ身分の者と話すのと同じ率直で開けっ広げな会話をする場面に居合わせたことがある。青少年に地位と年齢を尊ぶことが教えられる一方、自己の尊厳を主張することも教えられているのである。・・・・

 こうした社会的秩序、ならびに諸階級の間で非情によく発達した独立心は、日本人がなぜ中国人やほかのアジアの民族よりすぐれているかを説明して余りある。後者においては唯一者の意志しか聞かれないし、それに対して自分の意見を述べるような大胆な真似をする者はいない。日本という国は、その構成員がたとえどんなに抑圧されているにしろ、誰であろうと他人にやすやすと屈服するようなことはない。彼らが文句なしに認める唯一のもの、大君から大名、乞食から日雇いに至るまで共通な唯一のもの、それは法である」

 「日本の上層階級は下層の人々をたいへん大事に扱う。最下層の召使いが主人に厳しい扱いを受けたなどという例を耳にすることさえ稀である。主人と召使いとの間には通常、友好的で親密な関係が成り立っており、これは西欧自由諸国にあってはまず未知の関係といってよい」

アンペールはスイス人で、1863年に長崎に上陸しました。

「私は、よく長崎や横浜の郊外を歩き回って、農村の人々に招かれ、その庭先に立ち寄って、庭に咲いている花を見せてもらったことがあった。そして、私がそこの花を気に入ったと見ると、彼らは、一番美しいところを切り取って束にし、私に勧めるのである。私がその代わりに金を出そうといくら努力しても、無駄であった。彼らは金を受け取らなかったばかりか、私を家族のいる部屋に連れ込んで、お茶や米で作った饅頭(餅)をご馳走しない限り、私を放免しようとはしなかった」  「日本人の間に認められる表情の活発さと相貌の多様性は、私の意見では、あらゆる他のアジア民族よりも、より自主的であり、より独創的であり、より自由である知的発育の結果である」