自国の美風を守れ、スタール博士の講演(昭和5年)
日本を愛し、富士山をこよなく愛したアメリカ人、故フレデリック・スタール博士(1858~1933)を「世界に生きる日本の心」という本からご紹介します。スタール博士は、来日までシカゴ大学のウォーカー博物館の人類学部長を勤めていました。
来日した時が日露戦争の時で、日本人の民族性に魅せられ、来日回数は、前後十五回に及びました。
昭和八年八月、満鮮視察旅行でカゼを引いたのがもとで肺炎を併発して、同月十四日、日本の東京聖路加病院で亡くなりました(満七十四歳)。
遺骨を富士山麓に埋葬することが生前からスタール博士の希望であり遺言でした。当初、アメリカと日本に分骨する予定でしたが、遺族(令妹)との交渉で全部を日本に埋めることになりました。
そこで、元満鉄副総裁で貴族院議員・江口定條氏が中心となって、富士山麓に墓碑の建立を計画しました。
講演:「自国の美風を守れ」より、
ここに私をして二つの問題を講究せしめよ。まず第一に、日本は西洋との接触によって日本固有の多くの美点を犠牲に供したことを痛感せずには居られぬ。日本の文化は古き歴史を有し、賞賛すべき幾多の美点を有している。
今を去る一千二百年前、奈良朝の文化燦然たる時代に於いて、ヨーロッパの何れの国がその優美と典雅の点に於いて、日本に匹敵する文明を持っていたか。日本は外国から借りてきた文化を直ちに消化して明確に日本化したのである。
日本の文化はこのようにして数世紀の間維持せられて来たが、近来西洋との接触に伴い、日本文化は根底から動揺を来たし破壊せらるるに至った。外国との接触によってある程度の変化を来たすことは当然である。然しながら日本の近来の外国文化の輸入はいかにも盲目的であることは、日本のために遺憾千万である。
日本人は遥かに欧米の文化よりも優れたる日本文化を棄て、三文の価値のないものを輸入して喜んでいるのは意外である。日本は幾多の保存すべき美点を有しているにも拘わらず、これらを破棄してしまったことは嘆かわしい。(中略)
日本のある評論家は日本は採用し、修正し、熟達すると称している故に、日本のモットーは、adopt(採用し)、adapt(修正し)、adept(熟する)であると称している。それは巧妙なる言辞であってある程度の真理があるかも知れぬ。
しかし私が不満に感ぜずにいられないことは、日本は自国の文化の長所を容易に廃棄し、さらには外国の文化を取捨選択することを忘れて、猥りに玉石混淆外国の風俗習慣を輸入するということである。
更に現今の急激なる変化に際して、最も心配の要素は、日本はインスピレーションの源を只一国よりのみ取るということである。日本は西洋化しつつあると称している。然り、併しながら、日本の西洋化は米国化に偏しておって、欧米各国の長所を採用して円満に発達したものに非ずして、むしろ米国化である。
例えば、日本人の服装にせよ、習慣にせよ、建築にせよ、思想にせよ、スポーツにせよ、すべて米国から余りにも感化を受け過ぎている。
明治維新後、日本は急激に西洋化した。しかしその当時は、畏くも明治大帝の五箇条の御誓文の聖旨に従い、広く知識を世界に求めんとして世界各国から優秀の教育家及び師範を招聘した。英国よりは英国の美点を学び、フランスよりはフランスの長所を学び、米国よりは米国の特長を学んだ。この政策は今日に於いても、応用せらるべきものではないか。(中略)
日本の青年男子は日露戦争当時の如き剛毅勇武の風を失い、柔弱に流れている。更に特に目立つことは日本婦人が彼等の賞賛すべき美徳を棄てて、西洋婦人の悪風に染みつつあることである。
日本婦人はそのもてる典雅にして謙譲の美風を忘れて、その態度が粗暴に流れ、粗野な洋服をして最も下等の米国婦人の如き態度をして、得々然として大道を横行闊歩しつつあるを見て痛嘆の至りにたえない。真に日本を愛する者は、心を痛められずしてこの不自然の光景を観ることはできない。 何となれば今日の日本文明は、勇敢なる日本男子の愛国的精神に因れると共に、また謙譲にして献身犠牲の精神に富める日本女性の努力に基因せるものであるからである。
★講演の他の部分もまたご紹介するつもりです。